橋本聖子の出産した年齢はいくつ?夫婦別姓の希望する理由はなぜ?

今回は、橋本聖子の出産した年齢はいくつ?夫婦別姓の理由はなぜ?についてお話させていただきます。

森喜朗さんが東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長を辞任され、橋本聖子さんは後任として会長に就任されました。

橋本聖子さんは、過去オリンピック選手として7回も出場経験を持ち「五輪の申し子」と呼ばれてました。

じつはプライベートでは、子供6人の母親だったのです。

出産年齢や旦那さんのことなど、色々知りたいですよね!

そこで、橋本聖子の出産した年齢はいくつ?夫婦別姓の希望する理由はなぜ?について調べてみますので、最後までお付き合いお願いします。

 

橋本聖子プロフィール!身長体重も紹介!

橋本聖子さんは、日本の政治家で、元スピードスケートと自転車競技選手です。

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長に就任されたことで注目されました。

そんな橋本聖子さんのプロフィールをみていきましょう。

 

橋本聖子のプロフィール!

戸籍名:石﨑 聖子(いしざき せいこ)

生年月日:1964年10月5日(56歳)

身長:156cm

体重:不明

出身地:北海道安平町

学歴:駒澤大学付属苫小牧高等学校卒業

前職:富士急行従業員・スピードスケート選手・自転車競技選手・国務大臣

現職:東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長・参議院議員

スゴイ経歴の持ち主です。

橋本聖子さんは、1964年の東京オリンピック開会式の5日前に生まれ、お父さんが聖火がともるのをみたときに「聖子」という名前に決めたそうです。

まさに生まれたときから「五輪の申し子」だったんです。

家族は両親と兄妹4人で、橋本聖子さんは三女。

お父さんがオリンピック選手にしたくて、スケートを3歳からはじめたそうです。

そんな橋本聖子さんは、冬季4回・夏季3回の計7回オリンピックに出場しました!

ちなみに、雪のない季節に体を鍛えるためにはじめた自転車で夏のオリンピックにも出場してたのです。

冬季と夏季両方に出場するなんて偉業です。

そんな中、1995年に参議院議員となり、翌年1996年に現職国会議員としてアトランタオリンピックに出場。

今考えても、こんなことできる人はそうそういませんよね。

ただこれがきっかけで、政界とスポーツ界の両方から批判されたのです。

まだ体力的には選手として続けることが可能だったと思いますが、結果1996年に現役引退されました。

橋本聖子さんのこれまでをみると、本当にスゴイ人で、オリンピックとずっと関わってきた人なんです。

 

橋本聖子の家族について

橋本聖子さんは表舞台で色々活躍されてきた方で、今回オリンピック組織委員会の会長に就任され、女性代表としてさらに活躍を期待したいところです。

ただ、プライベートに関しては知らない人も意外と多いんです。

橋本聖子さんは、1998年にご結婚されてます。

現在、旦那さんと子供6人の家族構成です。

実際、どんな旦那さんか知りたい人もいると思うので調べてみました。

 

旦那はどんな人なのか?

橋本聖子さんは1998年にご結婚され、旦那さんは一般男性の「石﨑勝彦さん」です。

石﨑勝彦さんは、橋本聖子さんより9歳年上です。

職業は、警視庁警備部警護課所属の巡査部長をしてて、島村宜伸農林水産大臣のSPを務めてた経歴があるんです。

ちなみに巡査部長は上級幹部職なので、かなり優秀な方だったと思われます。

現在は、定年退職をされてて何をしてるのか不明です。

 

2人の出会いは?

2人の出会いはどこだったんでしょうか?

推測するに、アトランタオリンピック(1996年)が終わった頃ではないでしょうか。

石﨑さんが島村宜伸農林水産大臣のSPをされてた頃になるからです。

じつは、当時橋本聖子さんは島村宜伸農林水産大臣にお世話になってたので、当時SPだった石﨑さんと出会い、顔見知りになり自然と付き合うことになったのではないでしょうか。

2人は「北海道出身」と「スポーツ」という共通点があるので、話していくうちに意気投合された気がします。

石﨑さんは、「警察官だった立場から表立った応援はできないけど、精神面での応援はできる」と言ってくれたそうです。

女性としては嬉しい言葉ですよね。

旦那さんが表に出てこなかったので、結婚してるイメージがない方もいたのかもしれません。

 

橋本聖子の出産した年齢はいくつ?

橋本聖子さんは3人のお子さんを出産されてますが、出産した年齢はいくつなんでしょう。

どうやら・・・オリンピック開催年にお子さんが生まれるよう計画出産したみたいです。

ビックリです!!

1人目は2000年に長女を出産、当時橋本聖子さんが36歳のとき

2人目は2004年に長男を出産、当時橋本聖子さんが40歳のとき

3人目は2006年に次男を出産、当時橋本聖子さんが41歳のとき

しかも35歳以上の出産は「高齢出産」と言われてます。

ただでさえ難しい年齢なのに、計画出産されたとなるとかなり過酷だったと思います。

それでも、無事お子さんが生まれて何よりです!

やはり、五輪の申し子でしょう。

 

結婚と同時に子持ちに!

結婚された石﨑さんとは実は再婚でした。

橋本聖子さんが34歳のときのことです。

すでに病気で亡くなられた前妻との間に、娘1人と息子2人の3人の子供たちがいました。

一番下のお子さんでも、今年で24才以上になってます。

そう、橋本聖子さんは結婚と同時に3人の母親になったのです。

その後、3人のお子さんを出産されてます。

娘1人と息子2人の3人で、現在6人の母親ということになります。

>>橋本聖子の子供の名前は?由来がヤバすぎる!

 

橋本聖子高齢出産になった理由は?

橋本聖子さんの初産は2000年です。

一般的に、35歳の初産は「高齢出産」に区分されます。

橋本聖子さんは自転車競技などを1996年(当時32歳)まで現役選手として続けられてました。

引退後は、各スポーツ団体の会長を歴任してきたりととにかく忙しかったので、仕事柄なかなか子供を授かることが出来なかったのではないでしょうか。

働きすぎてると体の負担も大きく、すでに30代だったので子供が授かりにくかったと思われます。

それでも、今では6人の母親なのでスゴイですよね!

 

橋本聖子夫婦別姓の理由はなぜ?

橋本聖子さんはなぜ夫婦別姓なのかと言われてますが、実際どうなんでしょうか。

実際、戸籍名をみると夫の姓「石﨑」になってるので夫婦別姓ではありません。

彼女はスケート選手として素晴らしい実績を残し、その後国会議員として活躍、そして今回オリンピック組織委員会の会長に就任され、現在6人の子供を育てる母親です。

思うに・・・
今の時代、女性は結婚後も旧姓のまま仕事をされる方が増えてます。

その方が仕事しやすいのと、仕事と家庭を分ける意味でもいいと思います。

橋本聖子さんもその1人なんだと思います。

何より現役時代から「橋本聖子」という名前が定着してることも影響してると思います。

橋本聖子さんは、女性の活躍推進のためにいろいろ取り組んでる方です。

女性代表の1人として、これからも活躍を期待したいです!

 

まとめ

今回、橋本聖子の出産した年齢はいくつ?夫婦別姓の理由はなぜ?についてお話させていただきました。

森喜朗さんがオリンピック組織委員会の会長を辞任され、橋本聖子さんは後任として会長に就任されたことで、一気に注目が浴びました。

橋本聖子さんは、生まれたときから現在まで、オリンピックとのつながりがあり、「五輪の申し子」と言われる意味がよくわかりました。

お子さんが6人もいると子育ても大変だと思いますが、女性代表として今後も活躍されることを期待したいです。

では、橋本聖子の出産した年齢はいくつ?夫婦別姓の理由はなぜ?について最後までお付き合いいただきありがとうございました。